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arakimiho haiku kusyu garenotsubo araki miho

arakimiho haiku kusyu garenotsubo

araki miho

Published March 16th 2015
ISBN :
Kindle Edition
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 About the Book 

著者は「花鳥来」所属の俳人。俳人協会会員。序(深見けん二)より抜粋――「一日をまつ白にして雪が降る」「枝の先まあるくなりて春近し」前句、「雪」に対する作者の心持ち、思い入れというものがよく出ている。これは、雪国の雪ではない。目の前にこんこんと降りしきる雪を見て、時間の流れの一日を、街も心も「まつ白にして」雪が降っていると断定しているのである。後句、「まあるくなりて」と枝先を表現したのは、感性であり、この句を読む者にも、木々の枝先がまるくなったように感じさせるところに句の力があり、「春近し」More著者は「花鳥来」所属の俳人。俳人協会会員。序(深見けん二)より抜粋――「一日をまつ白にして雪が降る」「枝の先まあるくなりて春近し」前句、「雪」に対する作者の心持ち、思い入れというものがよく出ている。これは、雪国の雪ではない。目の前にこんこんと降りしきる雪を見て、時間の流れの一日を、街も心も「まつ白にして」雪が降っていると断定しているのである。後句、「まあるくなりて」と枝先を表現したのは、感性であり、この句を読む者にも、木々の枝先がまるくなったように感じさせるところに句の力があり、「春近し」の季題がぴったりである。跋(石寒太)より抜粋―― 「花鳥来」「屋根」は、どちらかと言えばホトトギス系で、きっちりと客観写生から入る作り方である。「炎環」は加藤楸邨の人間探求派。この二系統、流れからいえば水と油……というふうに見える。が、私は決してそんなふうには思わない。 私は、「俳句の面白さは何か」と問われれば、「こんな短い詩型の中で、いろいろなことが言える、それが俳句の真骨頂だ」と思う。俳句は写生だ、とか、人間探求派だとか決めつけてしまったら、俳句は狭く広がりのないものにӗ